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神戸地方裁判所 昭和61年(ワ)1685号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

一  当事者双方の求めた裁判

1  原告

(一)  被告は、原告に対し、金六〇万五八二五円およびこれに対する昭和五九年三月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は、被告の負担とする。

(三)  仮執行の宣言。

2  被告

主文第一、第二項同旨。

二  当事者双方の主張

1  原告の請求原因

(一)  訴外北脇秀吉は、昭和五九年二月六日、神戸市北区山田町下谷上芝山三―二自宅附近路上において、サイドブレーキがはずれ坂道を動き始めた無人の普通貨物自動車〔訴外有限会社森本商店(代表取締役森本豊邦)所有。〕に追突され、頭部外傷Ⅰ型、頭部挫創、両肺挫傷、左血気胸、心のう破裂、左右肋骨々折等の傷害を負つた。

(二)  右北脇秀吉は、右交通事故後、直ちに原告の経営する胃腸科外科春日病院に搬入され、緊急手術を受けたが、結局、翌二月七日に死亡した(以下、訴外北脇秀吉を単に亡秀吉という。)。

(三)(1)  交通事故における被害者の治療費の支払いにつき、現在、任意保険会社が、右被害者の治療に当つた医療機関(個人医の場合を含む。以下同じ。)に対して、右保険会社が自賠責保険の範囲を越えた場合でも右事故の加害者が負担する責任の限度で右治療費を直接右医療機関に支払う旨の合意、所謂「一括取扱」の合意をなすべく申込み、右医療機関の同意を得て右合意を成立させ、これに基づいて、右治療費を直接右医療機関に支払つている。

(2)  訴外有限会社森本商店が本件加害車の所有者であることは前叙のとおりであるところ、右森本商店は、本件事故当時、被告会社との間で、右自動車に関し損害補償契約を締結していた。

(3)  原告は、亡秀吉の本件治療した後の昭和五九年二月中旬頃、被告会社の右関係担当者下田保から、本件治療費について一括取扱の申出を受け、これに同意した。

(四)(1)  原告は、昭和五九年三月七日、本件一括取扱の合意に基づき、被告会社に対し、本件治療費総額金二一六万五八二五円の支払を請求したところ、右会社は、同年七月一二日、原告に対し、右治療費の一部である金一二〇万円を支払つた。

原告は、その後、亡秀吉の相続人訴外北脇和男から、右治療費の一部である合計金三六万円の支払を受けた。

(2)  本件治療費の残額は、金六〇万五八二五円である。

(五)  よつて、原告は本訴により、被告会社に対し、本件一括取扱の合意に基づき、本件治療費残額金六〇万五八二五円およびこれに対する本件治療費の全額を請求した日の翌日である昭和五九年三月八日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する被告会社の答弁および主張

(一)  答弁

請求原因(一)中傷害の内容を除く、その余の事実は認めるが、右傷害の内容は不知。同(二)中亡秀吉が本件交通事故後原告主張の病院へ入院したこと、亡秀吉が右交通事故の翌日死亡したことは、認めるが、その余の事実は、不知。同(三)(1)の事実は、全て否認。同(2)の事実は、認める。同(3)の事実は、否認。同(四)(1)中一括取扱の合意の存在および本件治療費の総額を除く、その余の事実は、認めるが、右合意の存在は否認し、右治療費総額は争う。同(2)の事実は、争う。同(五)の主張は、争う。

(二)  主張

原告が亡秀吉に要した治療費を訴外森本商店の保険者である被告会社に対して直接支払請求をする根拠は、法律上も約款上も存在しない。被告会社が、原告と、同人主張にかかる「一括取扱」の合意をしたことも全くない。

任意保険会社が、偶々被害者の治療が長期になる場合、その被保険者において医療機関に支払うべき治療費を右医療機関に直接支払うことがあるとしても、右支払は、便宜上行われるものに過ぎない。

まして、原告の本件治療行為は、極く短期間である。被告会社が原告に対し本件治療費を直接支払わねばならない法的義務は、全くない。

加えて、被告会社は、本件被保険者訴外森本商店のため支払うべき本件治療費の全てを既に亡秀吉の相続人等に支払つて清算ずみである。

即ち、亡秀吉の相続人訴外北脇仙次、同ためは、訴外森本商店、同森本豊邦を被告として、神戸地方裁判所に対し、本件交通事故に基づく損害賠償請求の訴を提起し、訴訟手続が開始されたところ、右訴訟において、昭和六〇年六月二五日、和解が成立した。しかして、右訴訟上の和解において、本件治療費は金一九〇万七三四二円と定められた(なお、本件治療費は、当初原告等によつて金二一六万五八二五円と主張されていた。)。被告会社は、同年七月一六日、右和解に基づき、右治療費残金七〇万七三四二円(既払分金一二〇万円を控除した残額。)を右訴訟の原告等に支払つた。

原告は、その後、同年一二月四日、亡秀吉の相続人等との間で、本件治療費残額を金五四万七三四二円とする、右訴外人等は、原告に対し、右金五四万七三四二円を、同年一二月から昭和六一年三月まで毎月末日限り金一〇万円、同年四月末日限り金一四万七三四二円に分割して支払う旨の合意を成立させ、同日付念書を作成した。

しかして、原告は、右合意に基づき、亡秀吉の遺族の一人である訴外北脇和男を介して、亡秀吉の前叙相続人等から、合計金三六万円の支払を受けた。

かくして、原告は、亡秀吉の相続人等に対し、右約定に基づく本件治療費の支払請求をなすべきであつて、被告会社に対し、右支払請求をするのは失当である。

3  被告の主張に対する原告の反論

被告会社の主張中その主張にかかる者を当事者とする損害賠償請求訴訟が神戸地方裁判所に係属し、右訴訟において、右当事者間に、昭和六〇年六月二五日、和解が成立したこと、本件治療費も、右和解において金一九〇万七三四二円と定められ、被告会社が、その後、右和解に基づき、残金七〇万七三四二円(既払分金一二〇万円を控除した残額。)を右訴訟の原告等に支払つたこと、原告が、その後、亡秀吉の遺族の一人である訴外北脇和男から、被告会社主張にかかる念書の交付を受けたこと、原告が、その後、右北脇和男から、合計金三六万円の支払を受けたことは、認めるが、その余の事実は、全て争う。

原告と被告会社間には、本件治療費の支払に関して、前叙のとおり「一括取扱」の合意が成立していたのである。それだからこそ、被告会社担当者は、本件事故後、原告と本件治療費の金額について、即ち、右治療費算定の基礎をなす点単価の引き下げを再三にわたつて交渉しているのである。右担当者は、その間、原告に対し、終始、被告会社の原告に対する右治療費の支払義務の存在を認めていた。それ故に、被告会社は、原告に対し、前叙金一二〇万円を支払つたのである。

原告は、本件治療費を前叙念書記載の金額で容認し、その余の金額を放棄したのではない。

右念書は、亡秀吉の相続人等が被告会社から受領した分をその限度でも良いから原告に返還するとの趣旨で作成されたものである。原告は、右念書があるからといつて、被告会社の原告に対する本件治療費の支払義務を免除したのではない。右念書の存在は被告会社とは何等関係がなく、被告会社は、依然、原告に対し、右治療費の支払義務を負つている。

三  証拠関係

本件記録中の、書証、証人等各目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因(一)中亡秀吉の傷害の内容を除くその余の事実、同(二)中亡秀吉が本件交通事故後原告の経営する胃腸科外科春日病院へ入院したこと、亡秀吉が右交通事故の翌日死亡したこと、同(三)(2)の事実、同(四)(1)中一括取扱の合意の存在および本件治療費の総額を除くその余の事実は、当事者間に争いがない。

二1  成立に争いのない乙第七、第八号証、証人仲山義彦の証言および弁論の全趣旨を総合すると、亡秀吉が本件交通事故により頭部外傷Ⅰ型、頭部挫創、両肺挫傷、左血気胸、心のう破裂、左右肋骨々折等の傷害を負つたこと、亡秀吉が右事故後春日病院で緊急手術を受けたことが、認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2(一)  証人下田保、同辰巳彰一の各証言および弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められ、その認定を覆すに足りる証拠はない。

交通事故における被害者の治療費の支払につき、現在、「一括取扱」あるいは「一括払い」と呼ばれる支払方法が、所謂任意保険会社の業務遂行上一般的に行われていること、右支払方法の構造は、次のとおりであること、即ち、右保険会社と自動車に関する損害補償契約、所謂任意保険契約を締結している契約者が交通事故を惹起し、その被害者が医療機関で治療を受け、右契約者にその治療費の支払義務が生じた場合、右保険会社と右医療機関が、右保険会社において右治療費を直接右医療機関に支払う旨の合意をし、右合意に基づき、右医療機関が、右保険会社に対し、直接右治療費の支払を請求し、右保険会社が、これに応じ、右治療費を直接右医療機関に支払う仕組みであること、右合意成立のための申出は、通常右保険会社の方から右医療機関に対して行われるが、右保険会社が右申出をするに際しては、右会社において事前に当該交通事故の状況を精査し、当該治療費が通常の範囲内で右支払方法を採ることが可能か否かを検討し、可能と判断した場合に右申出をすること、右支払方法が採用される場合、所謂自賠責保険金の範囲とは無関係であること、ただ、右支払方法が採られた場合には、右保険会社が当該保険契約者に代わつて自賠責保険金を立替払をすることになること、そこで、右保険会社は、右治療費の支払前に、右保険契約者から、自賠責保険金受領のための委任状の交付を受けておき、右支払後、自賠責保険に対し、当該交通事故に関する自賠責保険金の支払請求をし、右保険会社が直接右保険金を受領すること。

(二)  右認定各事実を総合すると、交通事故における治療費の支払に関し、所謂「一括取扱(一括払い)」の方法が存在することは肯認できる。

3  ところで、右説示から明らかなとおり、右「一括取扱(一括払い)」の支払方法が有効に成立するためには、当該治療に当つた医療機関と所謂任意保険会社との間で、右支払方法のための合意の成立を不可欠とする。

しかして、原告も、本訴において、右合意の成立を本件治療費支払請求の原因としている。

よつて、右合意の成否につき判断する。

(一)  原告の右主張事実にそう証拠として、証人辰巳彰一、同仲山義彦の各証言があるが、右各証言は、後示証拠と対比してにわかに信用することができず、他に右主張を事実認めるに足りる証拠はない。

(二)  かえつて、前掲乙第七、第八号証、成立に争いのない甲第一号証、乙第一号証、証人下田保の証言および弁論の全趣旨を総合すると、訴外下田保(以下単に下田という。)は、本件交通事故当時被告会社神戸サービスセンターに勤務し、保険に関する事故が発生した場合支払金額を決定したり、右決定のための交渉に当る、主査担当であつたこと、したがつて、本件交通事故に関係する事務処理をも担当したこと、同人は、右交通事故後、本件保険契約者である訴外有限会社森本商店の関係者から、右交通事故の被害者亡秀吉が入院直後死亡した旨の報告を受けたが、その後、右関係者から、本件治療費の内容を示しての支払請求を受けていないこと、下田は、右交通事故後、原告から右治療費について何等連絡を受けず、又下田の方から原告の方へ右治療費支払の件で連絡したこともなく過していたところ、昭和五九年三月七日になつて、原告の経営する病院関係者から、本件治療費が約金二二〇万円程かかつているので支払を請求する旨の連絡を受けたこと、下田は、右連絡を受け、前叙森本商店関係者からの本件交通事故に関する前叙報告と照らし合せ、原告病院関係者から告げられた右治療費の金額を意外に高額と思つたこと、そこで、下田は、右病院関係者に対し、取り敢えず診断書と診療報酬明細書を被告会社宛送付してくれるよう依頼し、その後、右各文書を受領したこと、下田は、右各文書を受領後、被告会社の関係部署に右各文書を廻わし、右治療費について検討させるとともに、被告会社の医療専門調査員訴外太田錦秀に対し、原告と右治療費総額に関し折衝するよう依頼したこと、被告会社内部の担当部署で右各文書を精査検討した結果、原告側の告示にかかる前叙治療費総額では所謂「一括払い」の方法は採れないという結論になつたこと、下田は、右太田から、原告側との右折衝が容易に進行しない旨の報告を受け、同年四月下旬頃、右太田とともに原告経営の病院へ赴いたが、何等成果なく帰つて来たこと、原告が、同年七月頃、被告会社の前叙サービスセンター所長に対し、本件治療費の支払を何とかするようにと申し入れて来たので、被告会社としても、当時、自賠責保険に対し、本件交通事故の被害者側から所謂被害者請求の申立が出ていることでもあるし、最終的な合意はできていないが、右自賠責保険金の範囲内でしかも回収可能な範囲内で、原告に対し本件治療費の内払をするということにし、同年七月一二日、金一二〇万円が、被告会社から原告へ支払われたこと、右支払の直後、亡秀吉の相続人等が原告となり前叙森本商店等を被告とする本件交通事故に関する損害賠償請求の訴が、神戸地方裁判所に提起されたこと、原告と被告会社との間で、本件治療費の支払につき何等の結着をみない内、右訴訟において、右当事者間に、昭和六〇年六月二五日和解が成立したこと、右訴訟上の和解において、その内容の一部として、本件治療費が金一九〇万七三四二円と合意されたこと、その後、右金額から既払分前叙金一二〇万円を控除した金七〇万七三四二円が、右和解に基づき、被告会社から亡秀吉の相続人等に支払われたことが認められる。

しかして、右認定各事実を総合すれば、原告主張の本件「一括取扱」の合意は、未だ成立に至らなかつたというのが相当である。

4  してみれば、原告の本訴請求は、当事者双方のその余の主張の当否につき判断を加えるまでもなく、右認定説示にかかる右合意の存在の点で、既に理由がない。

三  以上の次第で、原告の本訴請求は、全て理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鳥飼英助)

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